外出

今朝の体重は昨日に比べれば少なくなっていた。ベッドの中でストレッチのようなことや、手の指の開閉や足の指の開閉などをやってみたのも、もしかしたら良かったのかもしれない。まあ、良いと思うことを地道にやっていくのがいいんだろうな。
おかげで利尿剤の点滴はなく、3日間腕に付いていた点滴の針(シリコンのチューブ)は無事に撤去された。これで、本格的な点滴とは3週間お別れ。予定では、3週間毎にあと2回、シスプラチンの点滴を受けることになっているが、やっぱり、なんとなくダメージを受けたような感じはする。これが、あと2回あると思うと、憂うつになりかねないけど、まあ、3週間も先のことなんだから、こういうときには、目先のことだけを考えるようにしよう。今日と明日は日曜と祝日だから、何の治療も検査もなく、かつ、チューブフリーだし。

今日は、妻が入院後の様子を見るために来てくれた。
一般病床でいる自分のベッドのまわりや病室の様子、シャワーやコインランドリーなどの設備などを見せて、デイルームで少し自分の治療の進行状況や家の状況などについて話すと、もう病院でいる意味はなくなってしまったので、予定通り、外出して、晩御飯も一緒に食べることにした。
ただ、今朝は朝ご飯の時に大便が出ず、お腹が張った感じで出歩くのがおっくうだったので、ちゅうちょする気分はあったが、自分の気分転換のためにも出かけることにした。

放射線治療を受けているので、紫外線は避けるようにとのことなので、以前娘が買ってくれたストールを首にゆるく巻き、帽子をかぶって出かけた。

数日間、病院で過ごしただけなのに、何となくダメージを受けた感じがするのは、抗がん剤のせいなのだろうか?便秘でお腹が張っているのもあって、あまりてきぱきとは動けないので、のんびり歩いた。まあ、外見からすれば、自分もそろそろおじいさんの域には達しかけているかもしれないので、それを良いことにのんびり歩くことにした。

本当にひさびさに来る美術館をのぞいて、そのあと、少し早めにざるそばと天丼という晩御飯をとった。だが、お腹の中で便が停滞している感じが大きくて、食べたいのに食べきれないような状態で、残念ながらご飯を残してしまった。妻は、ざるそばの代わりにかけそばを頼み、久しぶりにこんな大きなえびの天ぷらを食べたわ、と笑っていた。彼女も、自分と同様にご飯を残していたが、これは体格の差から来るものに違いない。

食事の後、妻を宿泊するホテルに送り届けてから病院に戻ってきた。
病院に戻ってから、お腹の調子が優れないことを看護師の方に話すと、聴診器でお腹の音を聞いてくれてから、少し腸の運動が弱いようには思いますから、寝る前に下剤を持って行きますね、とのことだった。
ひさびさに外出して疲れたのか、よく眠ることができた。途中、小用で2度起きたが、そのうちの2回目にガスと便も少し出たので、お腹も楽になった。

今日の食事(晩御飯は外出して食べたので画像はなし)

停滞

今朝は、なんとなく全身はれぼったい感じがして、もうちょっと尿が出てもいいはずなのにな、という感覚だったけど、案の定、体重が基準体重よりも1kg強増えていて、利尿剤の点滴をしてもらった。
あわせて、お腹もなんとなくはれぼったいというか、胸焼けがするような状態というか、これはきっと、柔らかい状態のうんちがそのままお腹の中でたまっているんだな、という感じだった。
ただ、シスプラチンによる吐き気なのかもしれないので、朝ご飯の前に今朝の分として処方されている制吐剤を飲むことにした。
朝ご飯を食べたら、途中で便意を覚えたのでトイレに行ったら、軟便が出た。ある程度すっきりして、朝ご飯は完食した。

朝ご飯がやや遅かったのもあり、シャワーを浴びて、歯磨きやうがい、一泊二日での帰宅のための手配などをしていたら、いつの間にかお昼になっていた。
お昼ご飯は、美味しく食べられた。やっぱり、ご飯が美味しく食べられるのがなによりも大切な気がする。

午後は、お見舞いの人が来てくれて、他愛ないことをデイルームでしゃべっていたら時間が早く過ぎてしまった。心なしか、昨日よりも、排尿の回数も多いような気がする。気のせいかもしれないけど、やはり、他愛なく過ごしているほうがいろんな意味で体調はいいのかもしれない。できるだけそういう状態を維持できるように、はみがきやうがいはきちんとやらなくては。
午後の大部分の時間をデイルームで見舞いに来てくれた人と過ごしたためか、消灯時間の9時には寝付いてしまい、夜、3度ほど小用に起きたが、それ以外は、朝の6時まで、ほぼ就寝できた。

今日の食事

抗がん剤翌日

昨日の夜9時の寝付きは良かったものの、午前2時頃に目が覚めて、トイレで小用をした後、うとうと状態で5時半頃まで。
起き上がって歩くと、発熱時のような足元のおぼつかなさ感がある。
さすがに、これは抗がん剤の副作用なんだろうか?
体温自体は36.7度で、朝方の自分としてはほんの少し高めかもしれないが、ふらつきを感じるほどの熱ではない。

朝ご飯を食べ始めると、吐き気というほどではないが、軽いむかつきのような違和感を感じて、しばらくは食べたものの、半分くらい食べたところで、トイレに行って大用を。
便秘の薬を飲んでいるので、堅い便ではなく、前半が普通、後半が軟便、という感じだった。
すっきりして戻ると、残りのご飯もほとんど違和感なく食べられた。

食後に制吐剤を飲み、便秘用の薬は、薬剤師の方から、自分で加減したりスキップしたりしてくれて良い、と言われていたので、半分量を飲む。

食後に、腫瘍内科のお医者さんが回診してくれて、胸の音やお腹の音、口の中の様子をのぞいてくれた。
その時に、ふらつきについても話してみたが、抗がん剤の副作用というよりは制吐剤として点滴したステロイドで足元がふわふわするような症状が出ることもあるとは思います、とおっしゃっていた。

入院してから初めて、頭頸科のお医者さんの診察があった。
まだ放射線の照射は1回なので、特に問題もない状態だったが、今後、毎週一回、状況を見ていきます、とのこと。
ずっと気になっていた、手術後に取り直した首のCT画像と、上部消化管の内視鏡の結果について尋ねてみた。
CT画像は、摘出した腫瘤とは別のリンパ節の腫れが残っていて、詳細はわからないが、転移したがんである可能性もあるので、今後、この部分も見ながら治療を進めていく、とのこと。
内視鏡で見た、食道から胃、十二指腸にかけては問題ないとのことだった。
頭頸科の診察から戻ってくるときには、足元のおぼつかなさ感はなくなっていたので、ちょっと安心した。

CTで見たリンパ節の腫れについては、どのくらいの大きさなのか、とか聞きそびれてしまったので、放射線科のお医者さんの診察の時に、もう少し詳しく尋ねてみよう。
お医者さんはいつも、状況とかがわかっているので、要約された説明になりがちで、その説明を自分の中で反芻するときに、あとから、あれはどうなんだろう、とか、これはどうなんだろう、と思うことが多い。
基本的にお医者さんは尋ねたことには、嫌な顔をするということは全くなくて、何でも答えてくれるけれども、そもそも尋ねる内容を、診察が終わって病室に帰ってきてから思いつくので、どうしようもない。
看護師の方にお願いして、お医者さんに取り次いでもらうというのもあるんだろうけど、放射線科のお医者さんの診察もあるはずなので、とりあえずそこで尋ねてみよう。

今日は、まずは、制吐剤を点滴した後で、シスプラチンを腎臓から排出するために、昨日と同じ量の輸液を点滴する。
しかも、昨日よりもゆっくりなので、時間がかかる。10時半過ぎに始まったので、延々夕方の6時半過ぎまでかかる予定。
音楽を聴いたり、blogの文章を書いたり、昨日は本を読んだけど、今日は、大量に用意してきたDVDでも見ることにしようかな。
あ、首の傷跡付近のリンパマッサージもしなくては。

2回目の放射線照射が終わり、明らかに、のどがちょっといがらっぽい感じ。
晩御飯の後でうがいはしたけど、この感覚がだんだん強くなっていくのだとしたら、これはかなりつらいことになりそうな予感。
ただ、土日祝は放射線治療はお休みなので、明日から3日間は、これ以上ひどくはならないわけで、それだけが少し救いかも。

抗がん剤初日

今日は、抗がん剤(シスプラチン)の点滴があるので、9時頃までにシャワーをしておくように、とのことだったので、シャワー室の予約表の8時40分に記入。

シスプラチンの副作用の一つとして、腎臓への障害があるので、できるだけたくさん水を飲んだり、点滴で水を入れたりして、腎臓を水漬けの状態でシスプラチンを点滴することになるので、尿を作るのが追いつかないと、身体に水が溜まってしまってむくみが出たりするらしい。
そのため、どのくらい水が身体に溜まっているのかを確認するために、点滴を始める前の基準体重を計る、とのことで、体重計に乗る。
うーん、やっぱりちょっと太りすぎているかも、とは思うけど、看護師の方は、大丈夫ですよ、できるだけ体重を落とさずに治療を行ったほうが、回復も早いですから、と言ってくれる。
いつも、もうちょっとやせてくださいね、と言われるのに、やせなくていいですよ、と言ってもらうのは、ちょっと心地よかったりする。
まあ、そんなことで喜んでいる場合じゃないんだけど。

10時半過ぎから輸液の点滴が始まって、引き続き、シスプラチンの吐き気を抑えるための制吐剤、尿を作ってシスプラチンの腎臓への障害を和らげるための利尿剤を点滴した後、シスプラチンを点滴。
いきなりがつんとくるのかと思っていたけど、特に吐き気もなく、ちょっとほっとした。
最後に、また尿の材料になる輸液を点滴して、すべての点滴が18時頃には終了。
晩御飯も、完食した。
途中、放射線治療のために、点滴の速度を遅めに調節したので、本来なら17時半頃には終了していたのかもしれない。

今回使っている制吐剤は5年くらい前に出てきたものらしくて、その薬の利用前後では、かなり吐き気の症状が緩和されたらしい。
シスプラチンという抗がん剤も放射線も、長年使われているものだけれども、QOLの改善に関して、いろいろ開発が進んでいるみたいで、とにかく一回目のシスプラチンの注入はそれほどの問題もなく終了した。

同じく、一回目の放射線治療も、お面で顔と首を、ぎゅー、っと押さえつけられている間に終わってしまって、照射中は、首にも、のどにも、ほとんど感じるものはなかった。
終わってから、ほのかに喉が温かくなる程度の感覚があったが、気のせいなのか、すでに腫れているのか、判断が付かない。
けれども、もしこの感覚が放射線照射によるものなのだとしたら、これが33回重なっていけば、かなりのものになる予感はする。

ちなみに、両側の扁桃腺とその周辺、特に原発だった左の扁桃腺と同じ側の首のリンパ節には重点的に放射線が当たるようにIMRTが設計されている。
1回2gy(グレイ)という単位で、33回の照射予定になっている。

入院初日

入院初日は、血液検査のための採血をされた後、病棟に行って入院。

すごく若い看護師の方がいろいろ説明したり、ヒアリングしたりしてくれた。

その後、看護助手の方から、シャワーやコインランドリーの使い方、その他の病棟内の施設についての説明。

病棟は腫瘍内科が管理しているとのことで、病棟で担当してくれることになる腫瘍内科のお医者さんが、さっそく明日からの、抗がん剤(シスプラチン)の治療のスケジュールについて説明してくれた。

その後、胸部レントゲンと心電図。

さらに、明日からの放射線治療に備えて、放射線照射機(リニアック)での照合があった。

最後に、薬剤師の方から、抗がん剤(シスプラチン)の作用、副作用などについて、ていねいに説明があった。
病棟に薬剤師の方が詰めている、というのもすごいな、と感心した。
シスプラチンという抗がん剤は、登場以来、約30年も使われていてそれだけ効果があるということなんだろうけど、副作用もたいしたものらしい。
ただ、一番大きい副作用の嘔吐に関しては、5年ほど前に出た薬によって、かなり抑えることができるようになったとのこと。
副作用に関しては、個人差が大きいということなので、結局説明してもらっても、出たとこ勝負ということになるんだろうか。

夜、看護師の方が粉末のうがい薬を束にして持ってきて、水に溶かして使ってください、とのことだった。
1袋が100mL用なので、500mLのペットボトルに5袋溶かして、1日で使い切るようにするといいらしい。

口内炎をできるだけ防ぐために、口の中を清潔に、歯磨きはできれば5回、ということなので、今日から実践することにした。
毎食後に加えて、起床時と就寝時、そのあとうがい薬でうがい。
毎日の生活の中でだとかなり面倒に感じるけれども、病気を治すために病院にいる身としては、それが毎日やることのすべてと言っても過言ではないので、そのくらいはきちんとやらなくては。
少しでも口内炎を少なくできれば、結局は自分が痛い目を見なくてすむわけだし。

オリエンテーション

今日は胃瘻を作るための説明がメインで、あとは、化学療法に関するナースのオリエンテーションと、前回作ったマスクの位置合わせとして描いた身体の目印の線の確認、そして、放射線治療の計画についてのナースからの説明だった。

胃瘻を作るのは、消化器外科のお医者さんとのことで、どういうふうにして作るか、というのと、例によって、それに伴うリスクの説明があった。
胃瘻というと、もう、口から食べることがむつかしくなってしまった方が受けるもの、というイメージがあって、自分もそんなふうになってしまうんだろうか、と思ってしまうんだけど、扁桃腺のあたりに放射線を当てると、飲み込むのがものすごく大変になってしまう人もいるので、その際の栄養補給の手段として、あらかじめ作っておく、ということらしい。
放射線治療が進んで、白血球が減少してしまったりすると、そういう手術自体ができなくなってしまうので、治療の初期の段階で作っておいたほうよい、とのことだった。
胃瘻部分から感染症になるなどのリスクはほぼないらしい。
また、胃瘻が不要になった段階で、器具を使って外してしまえば、一週間ほどで元に戻るとのことだった。

胃瘻を外すときって、何もしないんですか?
てっきり縫い合わせるなどするのかと思っていたけど、どうやら、単に胃瘻を形作っている器具を外してしまうだけらしい。
消化器外科のお医者さんは、一週間くらいでふさがるので、日本中どこでも、胃瘻を外すときに縫ったりしません、と断言していた。
それを聞くまでは、なんとか、口で食べるようにするので、胃瘻は勘弁してもらおうと思っていたけど、そんなに簡単に外せるのなら、もし飲み込むことも困難になって栄養を十分に取ることができなくなってしまうと、放射線や抗がん剤でダメージを受けた組織の回復もかえって時間がかかることになってしまうので、保険として胃瘻を作っておこうと思うようになった。
お医者さんにすれば、胃瘻なんか、あたりまえのことでしかないので、全然問題ないですよ、という感じだけど、自分にとっては、初めての経験なので、逡巡してしまうところはどうしてもある。
ただ、それをお医者さんに言っても、たぶんお医者さんの価値観としては、当然やるべきことの一つでしかないわけで、残念ながら、その逡巡してしまう気持ちに寄り添ってくれたりすることはないような気がする。
自分的には、リスクの説明よりも、戸惑ってしまう気持ちに理解を示すふりだけでもして欲しいんだけど、ただ、現実は、あくまでお医者さんは、病気を治す技術者だということなんだろうな。

そういう多少の違和感を抱きながらだったので、その後に受けた、看護師の方が説明してくれる化学療法のオリエンテーションは、なんとなくホッとさせられるものだった。
入院前に治療時の禁煙とか、入院でいきなり禁酒すると眠れなくなることもあるので、前もって、節酒しておくように、という話もあったが、自分の場合は酒を飲むと言っても、週に一回も飲まない状態なので、さすがにそんな禁断症状のようなものが出ることはないだろう。
実際、腫瘤の除去や扁桃腺の除去で入院したときにも、禁酒によって眠れなかったりすることはなかったし、それらの手術以降は、ほとんど酒を飲んでいないので。

放射線治療のためのマスクとの勘合として身体につけた印のうち、特に、胸につけたものが、4日目頃には思いのほか薄くなっていてちょっと焦ったが、放射線治療のお医者さんによれば、みなさん胸は消えやすいけれども、このくらい残っていれば、まだわかるので大丈夫です、とのことで、もう一度、マジックのようなもので印をなぞってから、さらにコーディング液をスプレーしていた。
この印、意外とシャツなどに色移りしやすくて、色が付くとなかなか取れないので、そのつもりで用意したシャツ(もうそろそろ捨てても構わないようなシャツ)を着ていたほうが良いようだ。

漠然と、治療中は入院できるものと思い込んでいたが、家から病院まで離れているというのもあって、期間中は入院することを前提に治療計画を立ててくれているらしいのが明らかになって、改めてほっとした。

とげ抜き

転院のため紹介状をもらう際にもらっていた、扁桃腺のがん組織のプレパラートがもどされていたので、それを返すために最初にかかった病院を受診する。
3診あるが、主治医ということになっている若いお医者さんではなく、セカンドオピニオン先を紹介してくれたお医者さん宛て(御侍史と書かれていて、意味的には秘書のことらしいが、だからといって、まさか外来の看護師に、これ渡しといて、って言うわけにもいかないから)になっていたので、そのお医者さんの予約を取っていたら、なかなか取りにくくて、少し遅くなってしまった。
簡単に自分の状況を説明して、15日から先方に入院し、化学放射線治療が始まることを伝え、胃瘻も作るように言われてるんです、と言うと、喉が全体に痛くて、扁桃腺を手術した時の痛みと、全然質が違うらしいから、それは必要かもしれないですね、とのこと。
さらに、全然痛くない人もいるけど、一週間くらいでもう痛くてどうしようもない人もいるので、風邪を引いたりしないように、体調管理にも気をつけてください、とのアドバイスもいただいた。

せっかく受診したので、ついでに、ずっと気になっていた、首の手術跡に一カ所あるとげのようなもののことを話すと、その部分を顕微鏡で拡大して見て、本来は吸収される糸が残っているみたいですね、と、器具で引き抜いてくれた。
放っておいてもいいんだろうけど、でも、気になる、ということが、一つすっきりしたので、なんとなく気分良く、病院を後にすることができた。

マスク作成

今日は、以前型どりしたマウスピースができているはずなので、それを受け取りに歯科を受診。
名称はスペーサーというらしく、青色が上あご用、半透明が下あご用、と色分けされている。
これを装着した状態で放射線を当てるので、くれぐれも紛失しないように、と言われた。
再度作ると実費(18700円)請求されるらしいので、くれぐれも気をつけないと。
使った後には、ポリデントみたいな入れ歯洗浄剤で洗うことまではしなくても良いらしく、簡単に水洗いしておけば良いらしい。
保存用のケースも販売しているとのことだったのでわけてもらったが、要するに入れ歯の容器だった。

その後は、頭から肩までを固定するための枕と、それに組み合わせるマスク作成。
まずは、上半身、裸になって、放射線を当てる機械から出る光の目印を身体に当てながら、仰向けになった頭と肩の位置合わせ。
頭の傾きなどを補正するために、枕を微調整していく。
何度か身体を起こしたり寝かせたりしてみて、枕に頭と肩がきちんとはまることを確認する。
その位置合わせの目印として、胸に線を引く。

その後、たぶん、CTを取って、位置を確認しているようだった。
そして、次に、温かくしたプラスチックのネットを顔に、ぎゅっ、と押しつけるようにしてマスクを作成、というか、成形。
顔全体が押さえつけられてちょっと不安になるが、ネット状のものなので、呼吸が苦しいということはない。
目元や鼻のあたりを押さえつけるようにしながら、プラスチックを冷やして固めるために扇いで風を送る。
残念ながら目を閉じていたのでわからなかったけれども、雰囲気的にうちわで扇いでいたご様子。
そこのところだけ、妙にローテクで面白かった。

マスクが作成できた後で、身体を起こしてから、もう一度仰向けになり、マスクで固定。
その後CTを取って、頭と肩の位置がきちんと固定されているか確認していたようだった。

マスクと身体を合わせるために、肩や胸に目印の線が何本か追加され、上半身はまるで標的のような装飾が。
文字通り、放射線の標的になるわけで、それにしても、こんな派手に模様が付くとは思わなかった。
目印の線が消えにくいように、コーティング剤を吹きかけられて、はい、これで終わりです、ということになった。
乾いても、ちょっとべとつく感じで、さながらワックスがけされたようなものなんだろうか。

その後で、看護師の人から、体調や精神状態についての問診票を渡されたが、どの質問の回答も、かなりネガティブな表現が並んでいて、ちょっと感慨深かった。
とりたてて症状がない自分には、ぴん、とこないけれども、いろいろな面で大変な状態に置かれる人も多いんだな、と実感させられた。
化学放射線治療が始まれば、自分も、そんなふうな状態に置かれることになるのかもしれないけれども。

このマスク、実際に放射線治療を受ける際には、放射線技師の方は、お面をつけますねー、とおっしゃっていた。
ずっと写真を撮りたかったのだが、邪魔になってもいけないと思って言い出せずにいて、結局、放射線治療の最後の時に、写真を撮ってもいいですか?と尋ねると、いいですよー、と言っていただいたので、お面そのものを写真に撮って、さらに、お面で押さえられて放射線治療を受けている時の自分のイメージ画像も撮影してもらった。
自分がどんなふうに押さえつけられているのか、自分でも初めて見たが、けっこうながんじがらめ感の画像かもしれない。

なので、この画像は、治療が終了した2015年9月1日に撮影したものです。

上部消化管内視鏡検査

今日は、上部消化管内視鏡の検査。

以前、大腸の内視鏡検査は受けたことがあるけれども、口から内視鏡を入れるのはこれが初めて。
すごく苦しいよ、と妻に言われたので、当然のように鎮静剤の併用を希望して検査を受ける。
本当は検査当日に家に帰るつもりだったけれども、それだと、最終的に自家用車を運転しなければならなくなるので、鎮静剤を使ってもらえるようにわざわざ一泊増やして滞在した。

上半身を検査着に着替えて、検査の部屋に行くと、麻酔薬のゼリーをしばらく喉にためた後で飲み込んで、診察台に横向きに寝るように言われる。
内視鏡のお医者さんとおぼしき人が、左手に針を刺して、オビスタン(ペチジン塩酸塩:鎮痛薬)とミダゾラム(催眠鎮静薬)を注入して、すぐに意識がなくなり、気がついたときにはもう検査は終わっていた。
診療明細にはナロキソン塩酸塩(麻薬による覚醒遅延を改善する薬)とあったので、これを注入されて意識が戻ったんだろうと思う。

検査中は意識が全くなかったので、どういう状態だったかわからないが、ほおによだれの匂いがしていたので、たぶん、かなりよだれは出ていたご様子。
検査室から安静にするための部屋へ、看護師に腕を取って連れて行ってもらい、しばらく安楽椅子に座って過ごす。
まだ鎮静剤の効果がかなり残っているようで眠かった。
眠っている人も見かけられたけれども、自分は、ぼーっとしたまま40分ほど過ごす。
看護師の方が、あとは何を食べてもいいですよ、と言ってくれて、これで解放されることになったようだ。
検査中に組織を取ったりしたのか尋ねてみたが、そういうことは何もなかった、とのことだった。
少なくとも、明らかなポリプなどはなかったということらしい。

上半身の検査着を脱いだ後で、着替えた後で洗面所でほおを水で洗って、会計に向かったが、病院に着いて2時間も経っていないくらいで、いつになく短い滞在時間だった。

入院手続き

今日は、いろいろ回って、午後いっぱい病院にいた感じ。
まずは、腫瘍内科のお医者さんから、抗がん剤の治療について。
抗がん剤についてのお話しがあるとのことだったけど、薬そのものについてはそれほど説明もなく、副作用についての説明というか、留意事項がすごくて、放射線治療とシスプラチンによる抗がん剤治療の併用で、90%の人が飲み込むことさえ困難になるので、初回の抗がん剤治療が終わった後で、胃瘻を作ります、とのことだった。
どうしても嫌っていう人もいるので、そういう人には作らないですけどね、と言われて、気の弱い自分は、どうしてもイヤ、とは言えなくて、とりえあず、胃瘻の手技をしてくれる胃腸科のお医者さんの診察を受けることになってしまった。
というのも、診療内容の説明に、疼痛の管理に麻薬(モルヒネ)を使います、と書いてあって、そんなに痛いと、きっと自分も口からはものが食べられなくなるに違いない、とすっかり弱気になってしまったのだ。
実際のところ、どうなるのかわからないけれども、逆に使わないことを目標にして、でも、胃瘻は作っておく、という選択もありかもしれない。

今、体調に変化はなく、扁桃腺の手術跡も痛みもなく違和感もほぼなくなった状態で、だけど、胃瘻を作るような大変なことをして治療しないといけない状態なんだな-、とそのことで自分の置かれた状況の危うさを自覚するような感じだった。

次回の来院時に、化学放射線治療のオリエンテーションがあるので、それを受けるように、とのことで、いよいよ始まりが近づいてるんだな、という感じだった。
もちろん、始まらないと終わらないけど。

次は院内の歯科へ。
自分の場合、子供の頃にちゃんと歯磨きしなかったのもあって、ほとんどの歯が、神経を抜いて金属がかぶさっている状態なので、放射線を当てるとそこで反射して良くないらしい。
そのため、歯科にもかかって、放射線が反射しないようなマウスピースを作ってもらうことになった。
前回の診察の時に、放射線のお医者さんが、最初は、歯の金属の冠を外さないといけないかもしれないですけど、と言っていたが、結局、マウスピースで反射を抑えれば大丈夫でしょう、ということになって、今回は、院内の歯医者さんの診察も組み込まれていた。
歯医者さんでは、パノラマという歯の全周のレントゲンをとり、かつ、歯周ポケットの状態もチェックした後で、マウスピースを作成するための型どりをした。
割とひんぱんに近所の歯医者さんに行っていたので、歯周病っていうことはないよな、と思っていたけど、歯医者さんによれば、腫れている歯茎などはないみたいですが、放射線治療で唾液が出にくくなると虫歯になったり歯周病が悪化したりするので、今後、その管理もしていきます、とのことだった。

この後、入院手続きの案内と書類をもらいに受付に立ち寄り。

そして、引き続き、CT撮影。
咽頭部のCTを、そのままの状態と、造影剤を入れた状態で撮影。
一番最初の首の腫瘤の手術をする際に撮影したのと同じなので、不安はなかったけど、造影剤が入ってきたときの、上半身から順番に全身が、かーっ、となる感じはあんまり気持ちのいいものではなかった。
歯が邪魔らしく、首を思い切りのけぞらせるような姿勢で、一部、再撮影。
うまく撮れているといいけど。
かつ、別の悪性新生物が写っていないといいけど。