シスプラチンの後始末のための点滴も昨日で終わって、今回予定されていた治療はすべて終わったことになる。
2Lもの輸液を点滴したが、体重が増えているということもなかったので、今朝は、利尿剤の点滴もなく、そのまま留置してあった点滴の針を抜いてもらって、晴れてチューブフリーとなった。
いろいろな意味で気持ちに余裕が出てきたので、これまでの記事を整理したり、掲示できていない部分を付け足していったりしていていると、見聞きした中で書いていなかったことがあったので付け足しておく。
一番最初、自分が放射線治療と化学療法を併用するとしたら、分子標的薬(セツキシマブ)を選択することが出来ないのか、と放射線科のお医者さんに尋ねたときに、今の第一選択肢はシスプラチンで、腎臓に問題がある人には分子標的薬を適用している、とのことだった。
一時期、よく放射線治療で前後の順番になって顔見知りになり、時々お話をしていた方が、アービタックス(=セツキシマブ)を使っている、とのことだった。
腎臓の数値にやや問題があるので、分子標的薬を適用されたらしいが、一週間に一回の点滴で、湿疹なども出来てそれなりに苦労はある、とのことだった。
最近見たテレビのがん関係の番組では、分子標的薬は、シスプラチンに比べるとはるかに副作用は少ないとされていたが、実際のところ、シスプラチンの最大の副作用とされている吐き気は、吐き気止めの薬でほとんど抑えられるようになっているので、首のまわりに湿疹が出来ているその人の姿を見ながら、もしかしたら、どちらがどうとは言えないのかもしれないな、と思った。
たぶん、今一般に使われている分子標的薬も、まだ何か足りないのかもしれないし、それは今後ますます改善されていくのだろうとは思うけれども。
だからこそ、自分がどんな治療を受けたい(例えば、分子標的薬と放射線治療を受けたい)と思うのか、をはっきりお医者さんにお話しして、お医者さんの勧めてくれる治療方法との比較をていねいに聞いてみることが大切だと思う。
今は、どこの病院でも、正しい情報を伝えた上で患者の合意を得て(インフォームドコンセント)治療を行うことが普通になっていると思うので、お医者さんも、ていねいに説明してくれると思う。
その上で、納得できなければ、セカンドオピニオンを求めてみても良いと思う。
ただ、一番大切なのは、お医者さんからは情報をもらうのであって、どれを選択するのかは自分が決めなければいけない、ということだと思う。
もしかしたら、お医者さんにお任せします、という選択もあるかもしれないけれども、それで自分の決定が免責されるわけではなく、あくまで選択したのは自分自身である、と自覚すべきだろう。
これまでの3回の入院を通じて強く思うのは、がんという病気になるのも自分自身だが、医学の力を借りてそれを根治するのも自分の身体なのだ、ということだ。
自分の生存にとって好ましくない部分を、物理的に切り捨て、細胞的に切り捨て、それに伴う痛みや不具合などの副作用を身体の余力で何とかしていく、という感じではないかと思う。
今回の入院中、まわりは似たような治療を受けている方がたくさんいらっしゃったが、自分の場合、首のあたりの放射線焼けや喉の腫れなどの副作用は、比較的軽いものだったと、腫瘍内科のお医者さんからも、看護師の方からも言われた。
いろいろな要因があるとは思うが、自分自身でも、放射線治療後のうがいや保湿ローションの首への塗布は欠かさず行ったし、喉の不調が顕著になってからは、口腔保湿スプレーを使ったり、保湿マスクをして寝るようにして、口腔内の保湿を心がけていた。
それらを継続する、ということが多少なりとも副作用の軽減につながったと信じている。
ちょっと自負心が過ぎる表現だ、と思われるかもしれないが、患者サイドが出来ることは、それ以外には、前向きな気持ちを持つことくらいしかないのだから。
今日の食事