手術後2日目

診察の時に、蛇腹式のスポイトについて、お医者さんから、引っ張って抜けてしまわないように気をつけてくださいね、と言われた。
構図的には、首から出たチューブの先に血液だまりをぶら下げて歩いている、という、なかなかシュールというかすごいものがあるけど、自分で自分の姿はほとんど見ないのであまり実感がなかった。
が、何かの拍子に、そこらへんを血だらけにしてはまずい、と妻が心配して、その管とスポイトをパジャマの襟に絆創膏でとめてくれた。

今日の食事

手術翌日

手術が終わったのが前日の夕方だったため、12時間後の翌日の午前6時には、点滴も含めてすべての管が抜去されて、すっきり、だった。

首のぐりぐりを摘出することで、これまで存在したぐりぐり相当の組織がなくなるので、そこに血液が溜まったりせず、うまく隙間がふさがるように、蛇腹式のスポイトのようなものが傷跡からぶら下がることになった。
糸で縫った傷跡の上には大判の絆創膏のようなものが貼られていて、さらに、それを大きなガーゼで押さえて圧力をかける形でもっと大きな絆創膏で全体が貼られていた。
傷跡を圧迫しておくほうが、腫れたりしにくいらしい。
その一番外側の絆創膏から、細いプラスチックの管が出ていて、その先に蛇腹式のスポイトが陰圧をかけるように付けられていた。

喉を切ったとは言え、外側なので、特に食事に支障があるわけではなく、朝から普通に食事が出た。

今日の食事

手術後

首の腫瘤の手術は、全身麻酔で約2時間かかったようだ。
自分では、手術室まで歩いて行って手術台に横たわった後、麻酔で眠っていて、次に気がついたのは病室に戻ってきた時なので、まったく実感はないが。
首を切ったため、手術後12時間は安静に仰向けの状態で過ごす必要があり、血栓予防のための足のマッサージ器、導尿、点滴を受けていた。

病院のベッドは比較的堅めなので、まっすぐに寝ていると背中から腰にかけてが痛くなってきて、首の傷跡が痛むのと合わせて、種類の違う痛みの二重攻撃で、なによりもこの時間がつらかった。
なんとかひざを立てて腰への負担を和らげようとしたり、あまりにつらいときには、看護師の方が腰を斜めに持ち上げて少しマッサージしてくれたが、地獄に仏的な感じだった。

手術から12時間経って、導尿管も点滴も外されて、横を向いて寝られたときは、本当にほっとして、もう一度こういうのは耐えられないかもしれない、と思った。

傷跡は、耳の下5cmくらいから首に沿ってあごのほぼ真下まで。
実は、事前にどのくらいの範囲を切るのかなど確認していなかったので、手術が終わってから、こんなに切らなければならなかったんだ、と、意外と大変な手術だったんだな、とびっくりした次第。
些細なことも含めて(切る大きさは些細なことではないけれども)、手術前には、できるだけ詳細な情報をもらって、理解・納得しておかないといけないな、とちょっと反省。
手術自体については、必要な部分を摘出し、かつ、傷跡も目立ちにくいように配慮してくれていたので、何の不満もないが、手術に先立つ自分の心がけが不足していたことが残念だった。

もちろん、手術日の朝は絶食で、翌日の朝まで、ベッドで安静に、点滴につながれた状態だったので食事はなし。

手術前夜

首にできた腫瘤の手術を摘出するために入院。

首にできた脂肪のこぶに違いないと思い込んでいたので、手術自体についても、かなり楽観的。
お医者さんからは、頸動脈に近いところを手術するので、最悪、死ぬこともあります、とは言われたけど、まさかね、という感じだった。
そんな調子なので、実際のところ、どのくらいの範囲をどのように切るのか、などもちゃんと把握しないまま、最後の晩餐に臨んでいた感じ。

今日の食事(手術前日の午後に入院したため、晩御飯のみ)

入院予定

CTの結果を聞きに行くと、お医者さんの話では、一応、血管への浸潤などはなく、全体に境界ははっきりしているようだが、とのことで、ただ、それだけでは良性とも悪性とも言いがたく、この手術で取れるものを取って、それを組織検査にかけてみないとわからない、とのことだった。
自分自身は、悪性である可能性はないよな、と思い込んでいたので、お医者さんの言葉もかなり軽く受け止めていた。

手術の日程をどうするかという話になって、看護師の方が持ち出してきたのが大型の月めくりカレンダーで、そのカレンダー上でこの日が手術日だから、というかなりアナログな管理がされているのがわかって、少しおかしかった。
もちろん、カルテは電子化されているんだけれども。

結局、入院が4月9日、手術が4月10日ということになり、全身麻酔の手術なので、何かあったときのために、誰かは立ち会って欲しい、と看護師の方から説明があった。
働いている妻に休んでもらうことになるのは心苦しかったが、ほかに選択肢はなかったので、その日の夜、手術を受けることになったことを妻に話した。