医事連携

扁桃腺摘出手術の前日に入院。
入院手続き後にさっそく診察があり、お医者さんから、セカンドオピニオンを受けられた病院から返事が来ていて、そちらに転院することになっているようですが、今回の手術後、転院されるということでよいですか?と確認があった。
病院同士でどのようなやりとりがあるのかわからないが、2つめのセカンドオピニオンを受けた病院からは、直接、元の病院のお医者さんに返事が送られていて、セカンドオピニオンで尋ねた内容ややりとりが連絡されているようだった。
それに対して、1つめのセカンドオピニオンを受けた病院では、セカンドオピニオンとしての診断書のような文書を渡されて、それを自分で、元の病院のお医者さんに渡すような仕組みになっていた。
病院同士は、医事連携という名称で意外とちゃんと連絡が取れるようになっているらしく、例えば外来の初診の予約を自分で取るよりは、その連携を使って病院のお医者さん同士で予約してもらったほうがはるかに早い、と元の病院のお医者さんはおっしゃっていた。

今日の食事(午後に入院したので、晩御飯のみ)

告知

今日退院、という日の診察で、その日の担当のお医者さんに、
「病理検査の結果が出たんですが、あんまり良くなかったんですよ。」
と、摘出した腫瘤が、悪性腫瘍だったことを告げられた。
「扁平上皮がんだったいう結果が出ています。」
悪性ということもあり得るな、とは思っていたので、目の前が真っ白、みたいなショックは受けなかったが、もうちょっと劇的なというか、芝居がかったというか、そういう類の言い方をしてくれてもいいのに、と思わないでもなかったけど、お医者さんからすれば、one of them なわけだし、けっこうあっさりしたものなのかもしれない。それを聞いて、うーん、自分は、くじ運がないからなー、というようなことをぼんやり考えていた。

同じ日に、手術を担当してくれた別のお医者さんも診察してくれて、そのお医者さんも、同情的な色も見せずに、扁平上皮がんであるという事実に触れて、さらに、組織検査の結果の扁平上皮がんであるとの病理報告書を印刷して手渡してくれた。
「首にがんができるというのはほぼあり得ないので、原発巣というがんのもとになっているところからがん細胞が流れてきて、ここに腫瘍ができたと思われます。ですから、まず、その原発巣がどこなのかというのを探すことになります。よくあるのは同じ側の扁桃腺ですが。」
その後、スコープで丹念に鼻の穴から喉の奥にかけてを見た後で、その動画を再生しながら、
「どの部分にもがんのような兆候はないんですね。強いて言えば、上咽頭にすこし色が変わっているところはあるけれども。それよりは扁桃腺が右と左で大きさが違うので、やはりそれが怪しいでしょう。普通、扁桃腺は両方同じ大きさで、腫れても同じくらいの大きさになるので。」
「これから、PET/CTという機械で怪しそうなところを探して、そこを組織検査して、原発巣を確定することになります。ここにはその設備がないので、一番早く予約が取れるところで診てもらいましょう。」

とりあえず、退院するためにベッドのところで荷物を整理していると、その日、最初に診察してくれたお医者さんが、
「大学病院でPET/CTの予約が取れたので、当日はこれを持って行ってください。」
と予約書類を持ってきてくれた。

自分ががん、と診断されても、首の傷跡は別として、それ以外の体調は手術前と同様に何の問題もないので、本当に実感がない。組織検査の結果(扁平上皮がんと診断されている結果)を受け入れられない、ということではなく、がんならそれなりのことをしなくては、という気持ちはあるけれども、とにかく実感がない状態だった。

まずは情報を調べなくては、とネット検索で、そもそも「扁平上皮」ってなに?「扁平上皮がん」はどういうもの?と調べると、本当にたくさんの情報があって、これまでまったく意識してこなかったけれども、がんにかかる人って本当にたくさにいるんだな、というのを実感する。

その中で、国立がんセンターが運営しているサイト「がん情報サービス」に、
がんになったのは、決してあなたのせいではありません。
という一文を見つけて、それを読んだときに、訳もなくな涙が流れてしまった。

がんは、転移した場合でも、原発巣の細胞の性質をそのまま持つものなので、まず、原発巣を明らかにして、その部位に応じた治療をするものらしい。

妻にはどう伝えたものか悩んだが、退院した日の晩御飯の支度をしている時に、できるだけあっさりと、組織検査の結果は良くなくて、扁平上皮がんだと言われた、と告げた。
彼女には、この手術が、組織検査が一番大きな目的であることは伝えてあり、もちろん、がんと診断される可能性があることも伝えてあった。
その時に、彼女は、もし検査の結果が良くなかったとしても、きっと大丈夫よ、と根拠のない楽観さを示していたが、今回も反応はまったく同じ。
彼女曰く、結果が良くなかったのは残念だけど、きっと大丈夫よ、私の友達も乳がんで余命宣告されたけれども、もう5年以上生きてるもの、あなただって、大丈夫よ、と。

同じ日に、晩御飯の後で、子供にも伝えたが、やはりショックを受けていたようだった。

今日の食事(昼前に退院したので、朝食のみ)

回復

だんだん傷の痛みも鈍くなってきて、でも、首をかしげるような動作はあまりしないように、と言われていたので、あまり首を動かさないように気をつけながら毎日を送っていた。
特に、右側から正面に首を起こすときには、なんだか傷跡がちぎれてしまいそうな気がして、左手を頭に添えて引っ張り起こすような動作で、頭を起こしていた。

今日の食事

ボトルフリー

もう、すっかり血も止まっている、ということで、首からぶら下げていたスポイト風のボトルを取り外してもらった。
手術当日はかなり血が溜まった(一度、取り外して計量したときに40mLだった)が、翌日からはほとんど血は溜まらず、無事、お取り外しになり、やっと、すべてのチューブなどから解放された。
あとは、傷口を縫い合わせている糸だけ。

今日の食事

手術後2日目

診察の時に、蛇腹式のスポイトについて、お医者さんから、引っ張って抜けてしまわないように気をつけてくださいね、と言われた。
構図的には、首から出たチューブの先に血液だまりをぶら下げて歩いている、という、なかなかシュールというかすごいものがあるけど、自分で自分の姿はほとんど見ないのであまり実感がなかった。
が、何かの拍子に、そこらへんを血だらけにしてはまずい、と妻が心配して、その管とスポイトをパジャマの襟に絆創膏でとめてくれた。

今日の食事

手術翌日

手術が終わったのが前日の夕方だったため、12時間後の翌日の午前6時には、点滴も含めてすべての管が抜去されて、すっきり、だった。

首のぐりぐりを摘出することで、これまで存在したぐりぐり相当の組織がなくなるので、そこに血液が溜まったりせず、うまく隙間がふさがるように、蛇腹式のスポイトのようなものが傷跡からぶら下がることになった。
糸で縫った傷跡の上には大判の絆創膏のようなものが貼られていて、さらに、それを大きなガーゼで押さえて圧力をかける形でもっと大きな絆創膏で全体が貼られていた。
傷跡を圧迫しておくほうが、腫れたりしにくいらしい。
その一番外側の絆創膏から、細いプラスチックの管が出ていて、その先に蛇腹式のスポイトが陰圧をかけるように付けられていた。

喉を切ったとは言え、外側なので、特に食事に支障があるわけではなく、朝から普通に食事が出た。

今日の食事

手術前夜

首にできた腫瘤の手術を摘出するために入院。

首にできた脂肪のこぶに違いないと思い込んでいたので、手術自体についても、かなり楽観的。
お医者さんからは、頸動脈に近いところを手術するので、最悪、死ぬこともあります、とは言われたけど、まさかね、という感じだった。
そんな調子なので、実際のところ、どのくらいの範囲をどのように切るのか、などもちゃんと把握しないまま、最後の晩餐に臨んでいた感じ。

今日の食事(手術前日の午後に入院したため、晩御飯のみ)